過去のメッセージ箇所

(写真:イスラエル)

2019.1.20

"あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。

わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。"

                  ルカの福音書 11章8~9節


ここでは、求めなさい。そうすれば与えられる。と書いてあります。神様は真実な方ですから、これをそのまま素直に受け取って、実践つまり求めましょう。
しかし、求めて良い!といわれても、やはり遠慮して、これはダメだよね。とか、これは贅沢だ。とか、自分のわがままだ。とか、
一番よく聞くのは、神様は最善のをされるのだから、求めるのは失礼だ。などなどです。
そんなことはありません。神様は求めなさいっと言われているのです。
ここで、書かれている喩え話は、もうみんな寝静まった夜中、友達の家に頼みごとをしに行きます。夜中なのでということで、通常は遠慮してしまうでしょう。また、友達も夜中では、さすがに勘弁!なんて、思ったりするかもしれません。
それでも、行ってあくまで頼み続けることなら、友達も助けてくれるでしょう。私たちがそうなら、神様が聞いてくれないはずがありません。神様は愛の方で、私たちの天のお父様なのですから。
ですから、神様には、図々しく、しつこく、信じて、祈り続けて良いのです。
御心にかなう願いなら、必ず与えれくださいます。


219.1.13

"すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、

王に答えた。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」"

                     ネヘミヤ記 2章4~5節


〜王様のような人に、
なんでも願っていいと言われたら…
自分の欲しいものをお願いしませんか?
でも、旧約聖書に出てくるネヘミヤと言う人は、ここでは
まず、天の神に願うべきものを祈って(聞いて)
から、王にそれを願い出ました。
そして、この願いは王にきかれ、いくつかの必要についても求めるのですが、神が彼と共におられたので、王はその願いを叶えてくれ、彼は王に快く送り出されたのでした。
神のみこころを求めるとき、そして、それを行うとき、神がそれを成功させてくださいます。


2019.1.20

"詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。"

               エペソ人への手紙 5章19節


〜私たちは
いつどのような時も、神様に心からの賛美のを歌い、神さまを褒め称える必要があります。
そして、すべてのことについて天の父である主に感謝しなさい。と聖書はいっています。

  聖書の紹介〜
聖書の中には、詩篇というのがあります。
よく出でくる作者はダビデ王の詩など全部で150篇あります。
短いものや、中には1篇で176節もある長いものもあります。
神様を讃め称える詩や、お祈りのような詩などです。

2019.1.27

"すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、

彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、

おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。"

                              使徒の働き 3章6~8



この箇所は〜
美しの門と呼ばれている場所で、毎日施しを求めて座っていた、生まれつき足が悪く歩けない男の人が、ペテロたちのことを何かもらえると思って見ている。という場面ですが、それに対してペテロが、
 "「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」"
と命令すると、たちまち歩けるようになった。という、ところです。
これは、ただ聖書のおとぎ話だと思わないでください。イエスキリストの名で命じるとき、そのようになるのです。
彼は、いえ、私たちもこの彼のように、お金がなくては生きていけない、他のなによりもお金が大事と考えている人は多いでしょう。もちろんその通りだと思います。特に彼は、自分の人生は、このように日々の施し、つまりお金をもらって暮らしていくしかない!と思っていたでしょう。
でも、ペテロつまり神さまは"私にあるものをあげよう''といって、お金ではなく足を治されたのです。これは彼がもう諦めていたことかもしれません。もっといえば、きっと彼の発想にはなかったことでしょう。
お金は使ってしまえばなくなりますが、キリストの名はなくなりません。
永遠です。
ここでは、彼が躍り上がって神を賛美し、ほめたたえるほど、嬉しかった様子がうかがえます。
お金がなくても、たとえ何も持っていなくても、キリストの名があるなら、人は今まで味わったことない喜びに満たされ、発想もしたことのない祝福の人生を生きるようになるのです。
そして、それは永遠に…です。

2019.2.3

"信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

昔の人々はこの信仰によって称賛されました。

 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。"

            ヘブル人への手紙 11章1~3節


旧約聖書にある創世記には〜
今あるこの世界が、神の"光よあれ"という言葉で創造されたことが書かれています。
神の光よあれ。この神の言葉で全てがはじまったのです。  
しかし、それは地球上で、神を信じる人々でしか理解することはできないでしょう。まさに信仰です。
神は、信じている人にも信じていない人にも
絶対普遍の存在の方ですが、信じている人にしか、それは理解できません。信仰です。
その絶対普遍の全能の神は、与えられた言葉ビジョンを、実現される方であり、また、私たちの願った事を御心に従って、実現してくださる方です。
私たちは神が与えてくださるお言葉によって、それが実現される事であるということを悟り、信仰によってまだ見ていないそのことを、見る事が出来るのです。
そして、現に神が語ったそのことは必ず成就するのです。
聖書に書かれている人々はその事の証明です。

聖書の紹介〜
聖書にはノアという人のお話が出て来ますが、
そう、ノアの箱船のノアです。
ノアは神さまに語られた洪水のことを現実のこととして備えを始めて、なんと100年間がたちました。そして、神が語った通り、あのノアの箱船のお話にある大雨が40日40夜降り続いたのです。もちろん、信じたノアの一家は助かりました。そして、現在の私たち人類に至るのです。 

"信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。"
                      ヘブル人への手紙 11章7節